華やぎの季節がやって参りました。
そして、天からは白い妖精が舞い降りてきます。
一年は早いですね。新しい年を迎える前の大切な月です。
この12月が私の誕生月でもあるせいか、とても想い入れがあります。
又、全世界で偲ばれるイエス・キリストの降誕を祝う日としてクリスマスがあります。
私はクリスチャンではありませんが、イエス・キリストとの関係性を感じる不思議な体験が
今迄の人生の中で幾度もありました。
一つご紹介しますと、それは19年位前に遡ります。
人生の中で大きなターニングポイントの時でした。
苦しみの中にいた私が、インドネシアの古都ジョグジャカルタから一時間の世界遺産のボロブドゥール遺跡を訪ねた時でした。
そこは8~9世紀に作られた世界三大仏教遺跡でもあり、お釈迦様の生涯のレリーフが刻まれています。その石に刻まれている御釈迦様の生涯を観ながらボロブドゥール遺跡を上りきった後、同行の群れから外れ、一人で丘を降りてきた時の事です。
貧困の地でもあり、現地の人々が沢山の土産物を路肩で販売していました。
大体が灰色の仏像ばかりでした。しかし…ふとみると綺麗な色彩のイエス様が私の目に飛び込んできました。「なんでヒンズー教の地に、イエス?」私は不思議でした。
そして氣がつけばイエス様の像を手に取っていました。
8~10歳位の男の子に「How much?」と尋ねましたが、英語は通じず、手から放そうとすると、その子は受け取ろうとせず、像を私に押し戻すのです。
買ってほしいのだと思い現地のお金を適当に出すと、そのお金を返されてしまいました。
暫くイエス像のやり取りが行われ、私は断念して頂きました。
そのイエス像を持ちながら、不思議な感覚で、又一人で歩いていました。
間もなく主人が私に追い付き、「そのイエス像どうしたの?」 私は頂いたと答えました。
主人は「こんな貧困の地で、くれるわけがないから一緒に返しにいこう」と言われ、来た道を戻りました。すると、そこには先ほどの男の子の隣にお母さんもいました。
私はその時、やはり主人の言うように、傍らにお母さんが居なかったから、男の子の勝手な行動だったのだと思い、お母さんに返しました。
すると…お母さんはイエス像を受けとるやいなや、現地の新聞紙に包んで、又、私の手に戻されたのです。キョトンとしている私に、持って帰りなさいと言わんばかりに素敵な笑みを浮かべて、さよなら、の手を振ってくれました。涙が止めどなくながれ、その場を跡にしました。
あの時の不思議な体験も忘れられませんが、あの可愛い男の子とお母さんの綺麗な目を忘れる事が出来ません。
私は、この体験から不思議な程に生きる勇気が与えられました。
12月 … 私はイエス様を偲べる大切な月だと思って過ごします。
2000年前に 十字架で亡くなられたイエス・キリスト。
現代に生きる私達に沢山のメッセージを残しました。
クリスマスはプレゼント交換やケーキを頂く事も楽しいし嬉しいですが、イエス・キリストを想う日としても大切な一日として見詰めてみてはいかがでしょう。
イエスが願った…愛の世界を… ~祈り~
