弥生三月
雪国の上越も、降る雪は、たおやかな~ひらり・ひらりと春の雪。
凍てついた大地も、木々も、川のせせらぎも和らいで、頬を撫でる風も優しさを感じます。
穏やかな日差しが窓辺から差し込んで、春の来たことをつげています。
先日、ある女性誌に掲載されていた有名な若い女優さんのエッセイを読みました。
春を綴った内容でした。
「コンクリートとビルの谷間に育ったために、春の桜をみても、心から美しいと感じられず、木々や花をみても、何も心を動かされない自分だった。ただ、大人になった今気づいた事は、『桜は美しい』と親から定義付けされた見方をしていたという事。動植物も、幼い頃に触れ合うことがなかったために、心から可愛いと思えなかったのだと。そんな自分の中の感じ方の違和感があった。」と綴られていました。
正直なエッセイに感心しました。
改めて想うことは、人が同じものをみても、感じ方は本当に違うのだろうと思います。
私は大自然の中で育った為に、逆に都会に違和感を感じ、ビルの谷間やコンクリートジャングルは、いつまでたっても馴染めません。
若い頃、都会に憧れて上京をした私は、一週間で郷里に帰りたくなり、辛くて辛くてアパートのトイレで泣いた覚えがあります。(笑)
今も、東京に出向いても、空気や雰囲気が肌に合わなく、慣れるという事が全くありません。
年齢を重ねながら、少しづつ見えてきた、この世のありよう。
私の内側に変わらずあるのは、流されていくこの世の価値観ではなく、自らの内側にあふれでる意識と出逢う事。
それと同時に、他の人々の想いを尊重したいと、思うようになりました。
自分の内側に正直である事(自我と真我の調和)・・・その意識の延長線上に見えてくる、自らの本当の意識に出逢う。
冒頭でご紹介したエッセイの女優さんは、正直な自分に出逢っているのでしょう。
自らの心に光をあててみる力。
穏やかな春。芽吹こうとする新しい生命のエネルギーに負ける事なく、私達も、自らの内外共に語りかけ、新しい創造をして参りたいですね。
桜の開花を待ちわびながら… 三月も宜しくお願いいたします。 (^-^)~m(__)m
