2019年10月

小さな幼い頃のお話……

小学校二年生の頃、私は「泣いた赤鬼」の絵本を読みました。

涙が止まらない……

胸が震え、張り裂けそうな小さな私。

時々思い出す、この絵本と私の感情。

「泣いた赤鬼」を思い出す度に私は小学二年生になります。

悲しみと辛い感情がやってきます。

そして、感謝の感情も現れます。又、犠牲の辛さも感じます。

人間と友達になりたい一心で努力する赤鬼。けれど、赤鬼の容姿から怖い存在と定義づける人間たち。そこに、青鬼が、孤独を味わう赤鬼の想いに添えて力になる。お陰で赤鬼と人間は仲良し……でも当の青鬼は……。

私はこの結末に幼い心を震わせました。

以後、小学四年生になって、いじめられてる友達をみると、いてもたってもいられず、だからといって、言葉も出ない、そんな私が勇気を持って出来たことは、いじめっ子に「眼を跳ばす」ことでした。いわゆる「願(意識)をとばす!」精一杯の訴えだったのでしょう。

幼い頃の素直な感情を記憶する私は、大人になり、誰もが通過する……

素直になれない感情や、本音と建前で生きる事の切なさや、利害関係が絡んだ人間関係の複雑な感情を辛く感じてきました。

けれど私はやっと、今はさまざまな体験を経て

しっかり自分と向き合って、私の中心を大切に育て生きています。

時として流され溺れてしまう、偽りの感情。

私は勇気を持って小学二年生の私と向き合っています。

小学二年生の懐かしい私が、教えてくれた純粋意識。

私を育ててくれた、人間関係。

【自分を育てる】 

これは生命を持ったからこそ人間として当たり前の事なのかもしれません。

幼い小学二年生の少女の私の魂は、健在に私を育てて導きます。

時として父の厳しい愛で……時として母の慈愛を含んで……

                   小学二年生の少女より    (^.^)m(__)m