暑い日が続いておりますね。夏バテはされておられませんか?
私は、夏といえば、花火が大好きだった父を思い出します。
夏休みは家族で花火を楽しみました。
田舎では、大きな花火大会があるわけではありませんが、たまに父は「花火を見に行くよ」と言って連れて行ってくれました。
小さな私は、父の大きな手にひかれワクワクしながら山道を歩きました。
幼いながらに、何で山道を歩くのかしら?と思ったものです。
高台に連れて行かれ……「ここでみるの?」 「そうだよ!」と父。
なんとはるか彼方に花火がみえるではありませんか。山の高台から何十キロも離れた高田平野の向こうの直江津の海から上がる花火でした。
なんて小さい!しかも音は、随分してから耳に届きます。
幼い私は、花火はそんなものだと思っていました。
可愛い浴衣を着せてもらい、タヌキや狐や熊が出て来そうな誰もいない山奥で、家族と花火鑑賞。……今から思うと笑ってしまいます。
そして花火鑑賞で覚えていることは、誰よりも父が子供のように楽しんで、微笑んで、花火をみている姿です。それが胸に焼き付いています。
それは、私が花火を楽しむと言うよりも、喜んでいる父の姿を見て、私自身が喜びを感じていたのです。
幼い頃の一幕の記憶を手繰り寄せ、客観的に自分をみると、子供は純粋で、人の喜びを自分の喜びとして感じ取っているんだと、父との思い出を通じて感じます。
夏休みは子供に取って大切な情緒を育てる時なのかもしれません。
今の子供達の夏休みはどんな過ごし方かわかりませんが、私の時代は、花火のこんな思い出や、朝早くから兄と弟とカブトムシを捕まえにいったり、川に遊びに行ったり……自然の中で過ごしたものです。
お陰さまで大自然から感性を育ててもらったように思います。
私は、今更ながら父に感謝です。星空の山道をテクテク歩きながら稲の香りを感じ、草の竪琴、夜風の涼しさ、深淵な夜空。
全ては花火を超える想い出です。
こんな思いに浸っていたら父が三日前に夢に現れました。相変わらずの山高帽をかぶり金歯をキラッと光らせて笑って消えていきました……
【大人になっても鮮明な夏の思い出。花火以上に、色褪せることなく、私の胸の奥でキラキラ輝いています。……お父さんありがとう。】
盛夏
