♪~♪きーよしこの夜~♪ほーしは光~♪すーくいいのみぃこは……
空から舞い降りる白い妖精に導かれて……イエス様へ想いを馳せ、12月になるとクリスマスの夜に、この歌を口ずさんだ子供の頃を思い出します。
イエス様のことは何もわからない私でした。
クリスマスは、父が一番大きなケーキを買ってくれました。一年に一回だけ食べられるホールケーキは子供にとってはイベント中の大イベント‼️
父がケーキのサーバーです。兄、私、弟、三人は、ケーキの大きさに目を見張り!……誰が一番大きなケーキをもらえるか。
でも、いつも順番は決まっており、恒例の分け方に、何も言い返せない私。
父は……「はい!晴夫(兄)はお兄さんだから、一番大きなケーキ!……はい!勇(弟)は、一番小さいから一番大きなケーキ!……はい!久美子は女の子だから、お菓子のお花に、飾りのもみの木にリボンにろうそくのサンタさん。」
私は、無言( – _ – ) 内心、「何故?ケーキの回りに食べられない飾りばかり?
兄ちゃんも、弟も食べられる大きなケーキなの?」私の小さな胸の内はしっくりこない思いで一杯でした。
けれど、幼い私は、不思議にも父の想いを理解していました。「父は、私が女の子だからこうやって喜ばせたいんだ、…でも️私は、ケーキが大きいほうがいいのになぁ!」
クリスマスの夜の、あの厳かな《♪~きーよし♪~~こーの夜♪》の歌は、ケーキ騒動で終わります(笑)。。。子供だからしかたありませんが。
クリスマスの夜はもうひとつの記憶があります。
村にはお菓子を行商する、おばあちゃんがいました。エッコラ、ヨッコラと、大きな荷を背負ってクリスマスの夜にやってくるのです。
子供にとっては、お菓子はどうでもよいのです。
食べたいのはクリスマスケーキ。
私達三人は、「おばあちゃん早く帰らないかなぁ…」と思っていました。
クリスマスケーキ食べれない。。。と。。。️
しかし、時間は経つばかり。いっこうに帰り支度をしない、おばあちゃん。
結局、父も母も、おばあちゃんに一緒に食べましょうと、クリスマスケーキを分けたのです。おばあちゃんは、遠慮しながらも、喜んでいた光景を思い出します。
それから三年位、クリスマスになると決まってやってくる、おばあちゃん。
なんで、おばあちゃんは、家族と過ごさないのかなぁ? 幼いながらに私は疑問を抱いておりました。
それでも、私達家族は、何だか、おばあちゃんの存在にいつの間にか慣れ親しみ、クリスマスにやってくるのが、当たり前となっていました。
しかし、ある時からピタリと来なくなったのです。
「どうしたのかなぁ?」母に尋ねました。
「おばあちゃんクリスマスに来ないね……?……」
母は、暫く無言。
その頃の私は、分別がつく年齢になっていました。
母…「おばあちゃん亡くなったんだよ」
私…「え!何で」
母…「無言」
私…「だからクリスマスにやって来ないんだ。 病気で?」
母…「寂しかったんだろうね。。。」
私は、母のこの一言で悟りました。
母の姿から察知した私は、思わず胸を抑えました。寂しさと苦しさと切なさがこみ上げ、おばあちゃんの家族はどんな家族だったのか、母に尋ねることもやめました。
あれから数年たち春思期を迎えていた私は、イエスの物語を読みました。
ナザレの地で生まれたイエス。祝福されて生まれるどころか、馬の飼い葉桶の中で産み落とされたイエスの出生の秘密を知ることになるのです。
こうして私は、クリスマスの意味を知り、あのお婆ちゃんの死を思い出しては胸の内で泣いていました。
どんな思いで……私達の家にやってきていたのだろう。
どんな思いでケーキを食べていたのだろう? どんな思いで……。
私の両親は、お婆ちゃんの身の回りの事を良く知っていたのです。
優しい父は、子供を喜ばせようと、大きなケーキを買い、しかも、兄妹弟三人がそれぞれ喜ぶように演出し、更には、家族ではない、お婆ちゃんにまで・・・。
クリスマスは、愛を奏でる……その事の意味を両親は教えてくれました。
大人になり
この出来事が私の人生に大きな氣づきとなり、ナザレのイエスが伝えたかった事を感じています。
幼い頃の想い出のクリスマス。 繊細な久美ちゃんが立ちあがりました。
本年も、あとわずかです。
イエスのように、隣り人を愛せる私達人類になりたいですね。
12月も宜しくお願いいたします。
