晩秋を迎え小春日和の一日を味わっております。
そして毎日のウォーキングが楽しみのひとつなりました。
自然を鑑賞しながらのウォーキングは感慨深く
…美しかった木々の緑も鮮やかな落葉を迎えています。
入院中の兄に送った数々のLINに、兄を偲んだ想いが蘇ります。
春先の山桜、ふきのとう、足元に咲く小さな小花、5月の新緑、7月の夏本番数々の写真に、コメントを入れて、闘病の兄に発信していました。
返信はたまにしか来ませんでした。
一方的になるかしら?と思う思考もやってきましたが、とにかく兄を励ましたかったのです。
今も兄のラインを消せずにいます。
この晩秋に立ち上がる兄への想いは募ります。
けれど、わたしはその感情に蓋をすることなく素直に感じていたら…
その日に驚きのメッセージを友人からもらいました。
それは高校時代の友人から伝えられた 一言でした。
「恩田ちゃんのお兄さんが挨拶にきたよ!」
「え!?・・・どうゆうこと?」と驚くわたし。
「実は、お兄さんが亡くなられる3日前に不思議な事があったの」と、彼女は語り始めました。
「掃除をしていたら、入口のガラスごしに誰かが来たと感じて振り返ってみるけど誰もいない。氣のせい?と思っていたら、また誰かがきた気配を感じてガラスごしに誰かいるとわかった。
その瞬間、【ありがとうね】という声が聞こえ、その声、その気配の人は、恩田ちゃんのお兄さんだと感じて…のちにラインをみたら、お兄さんが危篤状態ということを知りご挨拶にきてくださったと感じた。」
彼女が大変敏感体質であることは知っていました。
以前も共通の知人のお別れが近づいていた時、彼女は幾度かこのような体験しています。
わたしは、この話をすぐに受け入れることができました。
何故ならまさしく兄が旅立つ三日前の危篤状態と合致していたからです。
人は旅立つ三日前くらいに、魂がお世話になった人々のところにご挨拶にいくといわれます。
実は、その頃、彼女を含め50人の友人が兄の為に毎日毎日…夜の10時に時間と意識を合わせて祈ってくださっていたのです。
彼女は…こう語りました。
「お兄さんがその事のお礼に皆のところにご挨拶にいっていたんだね」
その話を聞きながら兄ならそうすると感じました。
わたしたちは、言葉では「魂」を語ったり使ったりしますが、本当に魂の存在を認識しているか?いないか?
生前、兄との会話は、「魂とは? 魂の存在とは?」
「人間は、肉体は無くなっても、魂は永遠」と、兄によく語っていました。
兄は、わたしの近い友人に実証してみせてくれたのだと感じました。
生まれて、そして必ず閉じる命。しかし魂は永遠。
人間として生まれて様々な体験をしながら、魂が進化と成長をなしていく・・・
様々な人間模様の中で学びながら。
魂は、成功を望んでいるのではなく体験したいのだと感じるのです。
人生は成功を目標にするのではないと想うのです。
何をもって成功? それは競争原理を生むだけ・・・
成功という概念を作ったのも人間。
兄の旅立ちから早4ヶ月がたち、この友人の体験を通じて感じる想いです。
兄ちゃん
ありがとう。 合掌
