七月…七夕の季節
幼いころは、この時期になると夜空を見上げる事が多く、そのことに氣がついたのは七月に入ってまもなくでした。
夜空に輝く星をみつめて祈ります。美しい星の瞬きに心を奪われて・・・
先日、ベランダに出て美しい三日月と星の瞬きを見つめていたら、心身に対して力んでいる自分を感じました。
そんな自分を感じつつ、その自分を味わいながら佇んでいたら、どの位の時間がすぎたのか?・・・暫くしたら心地良い風が、顔を撫でて…その瞬間、わたしの意識は、幼い子供に返っていきました・・・
場面は夜! 三人で、肝試しのように歩く夜道。
草を入れたガラスの瓶を手に歩くわたし・・・前を歩く二人は兄と弟。
懐中電灯もなしに、そ〜っと歩いています。
その光景は、ホタルを捕まえに行く三人の姿でした。
懐かしさと囚われのない三人の微笑ましい光景に、ひとしずくの涙を流すわたし。
三人はホタルを捕まえて暫く瓶に入れて眺めますが又、直ぐにホタルを解き放ちます。
田んぼの上を飛んでいく蛍に魅了され、それを結局見たくてまた解き放つのです。
あるとき、瓶に入れていた蛍が翌日死んでいたことに悲しみを覚えた、三人は幼いながらに感じたのでしょう。
捕まえて鑑賞して…それでいい…(カワイイ体験です)
幼子は悟っていると言われます。
体験から学び、思考で分析もせず次に繋ぐ行動は、純粋だからなのですね。
わたし達大人は全員子供でした。
先日、姪の子供を見つめながら観じるのです。
ある本に綴られていました。「幼子のような気持ちを持たなければ天国の門はくぐれない」又、生命を安らかに守る方法として、中国のある偉人は「純粋な赤子のようになりなさい。赤子は一日中泣いていても喉がしわがれない。これは最高の調和を得ているからだ。一日中、手を握っていても指が曲がることがない、これはその生まれつき持前をそのままに守っているからだ。また一日中見つめていても瞬きもしない。これはただ外に気をちらさないからである」と説いています。
DNAに組み込まれた大調和の意識は、このように人間が思考で操作しなくても自然体の中で、宇宙意識で、わたし達は育てられているはずですね。
そして
わたし達は、内側の純粋意識に繋がれば思考に惑わされず、「今を生きる」そんな幼子になれるのですね。
だれもが辿った純粋意識。 それは、わたし達の中にある!
早く氣づいて!…と手ぐすねをひいて本当の「わたし」に出逢う事を待っている。
そんな氣がしてならない七月。
ベランダで、力んでいたわたしに氣づいたら、本質のわたしが、わたしを呼び戻してくれました。
「あなたらしく」と・・・ 素敵な体験でした。
祈りの七月、七夕。
祈りの月、祈りとは願望ではありません。 祈りとは、貴方の意識を乗せる。
意…乗…り
意…宣…り
豊かな真心の祈りを捧げます。
(真心は学ぶものではないのですね。あなたの中にあるのです。)
七月も皆様と共に……
〜意宣り〜
