雨上がりの朝、立ち上がった記憶。
それは、紫陽花の美しい季節。自宅の窓から雨にしっとり濡れていく草木をみていた少女の姿‥‥それは、わたし自身と氣づくのにそれほどの時間がかからなかった。
時間の経過と共に鮮明な記憶が立ち上がります。
「雨降りはいいな。。。家族みんなが家にいる!」
幼いながらに、家族団欒を感じていたのでしょう。
食卓を囲む時は、父が箸を持つまでは、わたし達の出番は後回し(笑)
兄も弟も、わたしも、母の躾の元にお行儀よく‥まるで犬の「まて!」の掛け声で、ご飯を食べるようなもの‥‥。
そんな時も、どんな風景も窮屈にはならなかった。
父を立てる母の姿は自然であり、そこの家の中心になる主を知って飼われる忠犬のようなわたし達、兄弟の姿は微笑ましく穏やかな家族の姿がそこにある。。。記憶の彼方からやってきた、家族との当時の思い出。
わたしの中にある家族の姿。
晴れの日は、仕事に打ち込む父と母、兄も弟も、解き放された犬のようにどこに遊びにいったかわからない程、家にいない(笑)
わたしも野山に出掛けて草花と遊び、犬と戯れて。
家族が、雨降りになると全員に家にいる。。。そんな日曜日は「なんだか、雨降りは幸せ‥。」そう感じておりました。
子供の感情は素直です。
家族が皆家にいる、ただそれだけで嬉しくて、雨降りの休日は特に喜びを感じていたのです。
わたしを育んでくれた家族、父も亡くなり、母も亡くなり、兄も亡くなり‥‥。
「生まれる事は死を迎えること。受け入れる生死」
そのことを‥
家族を見送り感慨深く見つめております。
家族は最小単位の社会の現れ、そこで育んだ延長に今の、わたしがいます。
個人から家族、氏族、民族、国家、世界、人類‥‥へと‥‥。
出逢った人々は家族のように歩めたらと‥‥と想わされるのです。
そんな想いを抱き、継ぐみたい‥‥わたしの中にある家族の広がり、そう想える思い出の家族に感謝。わたしを育ててくれてありがとう‥‥。
