2024年4月

 桜の季節

この季節を迎えるとなぜだか優しさを感じます。

4月2日に母は、煙となって天上に旅立っていきました。その煙を後押しするかのように満開の桜が咲きほこり桜の花びらが舞い上がっていきました。

生前、母が語ってくれた遺言のような言葉を思い出します。「みんな仲良くね」

この言葉は、わたしの内側に刻まれました。

わたしは母のこの言葉で想うことがあります。

「みんな仲良くね」

そのようになるためには、わたし達一人ひとりの内側の心の整理が必要だと思ったのです。

心は自由気ままに動きます。暴走もします。まだ起きてない事を現実のように妄想に入り。。。不安や心配や嫉妬や激怒など、白昼夢の中で生き続けて来たのだと感じます。

わたし達の内側にある囚われや、縛り付けている固定概念、それすら氣づかずに人間関係は、外側に責任転嫁をし、相手の立ち位置に感情で踏み込み、意識はさらなるデーモンを創造し、身動きの取れない人間関係を作ってしまっています。相手の立ち位置に対して受け止めながら、全ての人間は千差万別と捉えるなら、囚われも外れて行くように思うのです。

大切な事は、「人は違ってひとつ」「唯一無二」の存在。語るに簡単かもしれませんが、それを腑に落とす事が最も大切と感じます。

内なる統合!

そう思うのです。人生は人間関係の中にあり、自らの内側の想いの中でトラブルを起こし、それが戦争へと拡大していく…(エゴの増幅)

世界の紛争は、本当にわたし達一人ひとりの想いの延長の中にあります。そんな想いの中で世の中を観じていたら、「オッペンハイマー」の映画が上演され始めました。

原子爆弾の指導者的役割を果たしていたオッペンハイマー。後にトルーマン大統領に語った「わたしは自分の手が血で塗られているように感じます」その言葉に憤慨したトルーマン。

オッペンハイマーは、核兵器の脅威は人類の自滅をもたらすと、、、後に核軍縮を呼びかけていかれました。

オッペンハイマーは、様々な葛藤の中で本質の自分に出逢ったのでしょう。

わたしの眼の前に、飾られてある詩篇があります。

この詩は、一昨年、最愛の兄に贈った詩です。亡くなるまで大切にしていてくれました。

【グリフィンの祈り】

(南北戦争時の)南軍無名兵士の作と伝えられる〜

大きなことを成し遂げるために力を与えて欲しいと神に求めたのに謙虚さを学ぶようにと弱さを授かった

偉大なことが出来るようにと健康を求めたのにより良きことをするようにと病氣をたまわった

幸せになろうと富を求めたのに賢明であるようにと貧困を授かった

世の中の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに得意にならないようにと失敗を授かった

人生を享受しようとしてあらゆるものを求めたのに求めたものはひとつとして与えられなかったが願いは全て聞き届けられた

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず心の中の言い表わせない祈りは全て叶えられた

わたしは最も豊かに祝福されたのだ

どうぞ…4月の【ひとり言】をお読み頂いた皆様、グリフィンの祈りを…感じてください。

  みんな仲良くね!

 4月も宜しくお願いいたします。