春の始まりであり、一年の始まり(旧暦)である立春。
二月を迎えて、雪国の厳しさと暖かさを感じる季節です。
雪の下で待ち望む植物。
雪深い地で育った郷里を思い出します。
わたしにとっては、雪深い郷里でも楽園でした。特に二月は、「もうじき三月!・・・後一ヶ月まてば春!」←当たり前ですが。
当時は4メートル位の積雪はあたりまえ。家がスッポリ雪の中。
春待人にとっては忍耐です。
特に雪の下の『ふきのとう』『ネコヤナギ』幼い頃は、これをみつけるのが楽しみでした。スコップで、雪の下に流れる沢肌近くの土を感覚で見つけ、雪を掘っていくと、小さい『ふきのとう』が芽を出しているのです。
もう「感動!」の一言。「ふきのとうさん!こんにちは!」
見つけられた幸せ♡ 春の宝物、まるでダイヤをみつけた感覚でした。 真っ白な雪にスコップをいれて、土もふきのとうも全くみえないのですから!
「雪の重みがあるのによく芽を出しているね〜♪」
子供のときの、あの喜びの感覚は今もしっかり覚えています。
つまり【直観】が当たると嬉しいのですね。
雪景色を見ながら懐かしく思い出される…わたしの思い出です。
東京で過ごしたこともありましたが、大自然の中で過ごすことが…やはり、わたしに合っています。
画一化され、機械化されたデジタル化した中での生活は多分耐えられないでしょう。
電磁波が飛び交う生活圏内は大切な【感覚】を失ってしまい、【直観】と言う閃きも降り注がれにくくなるのではないかと思います。
大自然と宇宙が繋がることが出来ると…
わたし達、人間の脳をサポートしてくれるように感じます。(大切な松果体の活性化)
最近、わたしの内側から、時折立ち上がる意識があります。
【この世にあって、この世にあらず】この言葉が脳裏にやってくるのです。
そして最近は胸の内で感じるのです。
わたし達は【人の目】を氣にして生きています。
【人にどう思われるか】
【人からどのように見られるか】
いつも照準は、【人の目】
人の存在やこの世に合わせすぎて…
自らの大切な心の目を、失いかけているように感じます。
ワクワク感など感じず、虚無感や喪失感、脱力感…そのような心を感じていたら、そうなのかもしれません。
【あなたは? あなたを生きていますか?…!】
量子力学の世界でいうなら、つまり、【本質の意識】
わたしの本来の想いは?
意識は? 意志は?
流されることなく生きたい!
答えは全て自分の内側から。。。
そう思いませんか?
今一度、自分を見つめ直してみませんか?
節分、立春を越えて、頑なに閉ざされた冬から、まさに死から蘇るように、
真実に氣づく、春を迎えられたらよいですね。
氣候が陽気になる季節
氣更来に想いを込めて
二月【如月】も宜しくお願い致しますm(__)m
