2022年6月

紫陽花の美しい季節がやってまいりました。

雨上がりに映し出される紫陽花は空に描かれる虹の色を全て彩っていますね。

虹は平和の象徴とされています。

今の時代だからこそ虹を尊びたくなりますね。

平和とは何でしょう?

最近は特に平和とは?・・・と、見つめるようになりました。

わたしの人生は、振り返れば全てがこの問いを自らに投げかけて歩んで来たように思います。

【生老病死】20代の頃の問いかけでした。

何故生まれて? 何故老いていくの? 何故病いになるの? 何故死ぬの?

自問自答を繰り返しながら出会ったのが、【ブッダの生涯】という本でした。次に出会ったのは、手塚治虫のマンガ本【ゴータマブッダ】でした。

大変腑に落ち、更に加速して【イエス・キリスト】を知りたくなりました。

それから…わたしの人生は様々な出逢いを重ねながら、今、更なる歩みを続けております。他人様からみると、変な宗教をやっているのでは?・・・と、誤解されても仕方ありませんでした。

もちろん色々な宗教も覗いたり、思想的な内容をかじってみたりもしましたが、それも、ひとつの学びというより、善くも悪くも体験でした。

人生とは何でしょう?

【観ないようにしているか…】【観ようとするか…】【誤魔化すか…】・・・

誰もが通過する意識だと思います。

わたしは、この三つの意識の問いかけを、ずっと自分にしてきました。

ストイックだったのかもしれません。・・・「人生」という課題に対して。

そんな自分に後悔は有りません。数十年前の自分にお別れ!

新たな自分に出逢い、それをしっかり表現するならば・・・本質の自分に出逢い始めたように思います。

人生に対して向き合う覚悟がやっと生まれてきたのでしょう。

自分に出逢う意味が以前はサッパリわかりませんでした。

杓子定規な生き方をしていた時を思い出すと、以前より数段変化した自分を感じます。

以前、ある方にお伝え頂きました。・・・「全ては自分の中に答えがある」

その意味も、当時はサッパリわかりませんでした。

今は、その事の意味が観えて歩んでいます。

それは、本当に虹が架かる雨上がりの青空のように感じます。

これまで、その自分の本質に出逢う迄、幾度も泣き苦しみました。

わたし達の意識を動かしている、見えない二つの力があります。

それは、「記憶」と「インスピレーション」

脳は記憶を持っています。何世代にも繋がる記憶が、曇ったメガネのようになってしまっている視界。フィルターをかけて物事人生をみる、生き方。

つまり思考の虜になったのです。

右か左か? 上か下か? 善悪を追っかける等々。。。

(↑そのカラクリに氣づけなかったのです)

インスピレーションは、わたし達がどう生きたら、と示してくれる、ありのままの存在としての自分に氣づかせてくれます。

どちらを選ぶか?

わたしは、長きに渡り思考の罠にはまっていました。

本当の自分から外れた生きかた。

今は、静かに自分を見つめる、そのままの自分にジャッジを入れずにみるようにしています。出来る時も出来ない時もありますが、ある時、正直な自分を始めたらインスピレーションを貰える事に氣づきました。

インスピレーションは神聖なる存在からもたらされるもの。

わたし達は神聖なる存在なのです。

揺らぎは誰にもあります。

そんな時こそ、自らの内側に静かに入り、自分の監督者になってみませんか?

すると、心の持ちようが観えてきます。

大変(大きく→変わる)な時だからこそ諦めずに。

心身の痛み…人間関係の痛み…様々な痛み。

それがある時だからこそ、チャンスの神が現れる・・・そう想うのです。

虹に彩られて美しく豊かに艷やかに咲く紫陽花のように、揺らぎがあるからこそ成長できる。中庸の心を感じながら…心の平和を育てましょう。

6月も皆様と共に歩みましょうm(__)m