2022年7月

七月…七夕の季節

幼いころは、この時期になると夜空を見上げる事が多く、そのことに氣がついたのは七月に入ってまもなくでした。

夜空に輝く星をみつめて祈ります。美しい星の瞬きに心を奪われて・・・

先日、ベランダに出て美しい三日月と星の瞬きを見つめていたら、心身に対して力んでいる自分を感じました。

そんな自分を感じつつ、その自分を味わいながら佇んでいたら、どの位の時間がすぎたのか?・・・暫くしたら心地良い風が、顔を撫でて…その瞬間、わたしの意識は、幼い子供に返っていきました・・・

場面は夜! 三人で、肝試しのように歩く夜道。

草を入れたガラスの瓶を手に歩くわたし・・・前を歩く二人は兄と弟。

懐中電灯もなしに、そ〜っと歩いています。

その光景は、ホタルを捕まえに行く三人の姿でした。

懐かしさと囚われのない三人の微笑ましい光景に、ひとしずくの涙を流すわたし。

三人はホタルを捕まえて暫く瓶に入れて眺めますが又、直ぐにホタルを解き放ちます。

田んぼの上を飛んでいく蛍に魅了され、それを結局見たくてまた解き放つのです。

あるとき、瓶に入れていた蛍が翌日死んでいたことに悲しみを覚えた、三人は幼いながらに感じたのでしょう。

捕まえて鑑賞して…それでいい…(カワイイ体験です)

幼子は悟っていると言われます。

体験から学び、思考で分析もせず次に繋ぐ行動は、純粋だからなのですね。

わたし達大人は全員子供でした。

先日、姪の子供を見つめながら観じるのです。

ある本に綴られていました。「幼子のような気持ちを持たなければ天国の門はくぐれない」又、生命を安らかに守る方法として、中国のある偉人は「純粋な赤子のようになりなさい。赤子は一日中泣いていても喉がしわがれない。これは最高の調和を得ているからだ。一日中、手を握っていても指が曲がることがない、これはその生まれつき持前をそのままに守っているからだ。また一日中見つめていても瞬きもしない。これはただ外に気をちらさないからである」と説いています。

DNAに組み込まれた大調和の意識は、このように人間が思考で操作しなくても自然体の中で、宇宙意識で、わたし達は育てられているはずですね。

そして

わたし達は、内側の純粋意識に繋がれば思考に惑わされず、「今を生きる」そんな幼子になれるのですね。

だれもが辿った純粋意識。 それは、わたし達の中にある!

早く氣づいて!…と手ぐすねをひいて本当の「わたし」に出逢う事を待っている。

そんな氣がしてならない七月。

ベランダで、力んでいたわたしに氣づいたら、本質のわたしが、わたしを呼び戻してくれました。

「あなたらしく」と・・・ 素敵な体験でした。

祈りの七月、七夕。

祈りの月、祈りとは願望ではありません。 祈りとは、貴方の意識を乗せる。

    意…乗…り

    意…宣…り

     豊かな真心の祈りを捧げます。

     (真心は学ぶものではないのですね。あなたの中にあるのです。)

          七月も皆様と共に……

                                 〜意宣り〜